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社会に出て5年で福岡支社を立ち上げることになった話

突然ですが問題です。私は今どこにいるでしょう。

陸の世界に憧れ、人間になることを夢見ている人魚ではありません。
これだけだと、ちょっと分かりませんね。
もう少しヒントを出します。

お分かりいただけただろうか。
そうです、福岡県です。
私は長年住んだ関西を離れ、福岡県にて仕事をしています。

写真は福岡県きってのインスタ映えスポット、糸島の「ヤシの木ブランコ」です。
(実際そんなに映えてないのはモデルの力不足です、ご容赦ください。)

改めまして、ご無沙汰しております。
a-worksの溝端でございます。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、2019年10月より、a-worksは福岡支社を立ち上げまして、恐縮ながら私が責任者を任せていただく運びとなりました。

「福岡に拠点を作ろうと思うねんけど、溝端行ってくれへんか。」

a-works史上初の転勤辞令は、あまりに唐突でした。
「転勤はない」はずだったのですが、社長は何か考えがあるようでした。

最初は関西を離れることに抵抗もありましたが(寂しがりなので)、社長と対話を重ね、悩んだ末に「頑張ってみます」と回答し、福岡行きが決まりました。
(さらっと書いてますが、2019年の6月の出来事です。このスピード感たるや。)

引っ越してみると分かりますが、福岡はめちゃくちゃ良い街です。
ご飯が安くて美味しい。みんな人柄がいい(めちゃくちゃ歓迎してくれる)。
いい意味で都市がコンパクト。そして、ご飯が美味しい。

「転勤した人が帰りたくなくなる」とよく耳にしてたのですが、約半年経った今、全力で痛感している所存です。

福岡といえばもつ鍋。大学時代の友人と。
福岡といえばPayPayドーム

勿論、遊びに行っているわけではございません(念のため)。

私のミッションは、

・福岡の既存パートナー様とのお付き合いをより高め、支援を最大化すること
・デジタルに課題をお持ちの、まだ見ぬパートナー様との出会いを作ること

です。

通販が盛んな福岡で、ハイレベルなプレイヤーの方々とコミュニケーションを取りながらデジマケとはどうあるべきか、日々議論したりして闘っています。

さて、入社当初「一番できない新人」だった私に、とはいえまだまだ力不足な私になぜ社長はこのような機会を与えてくださったのか。

そんな私が、福岡に行ってみて何を感じているか。

私の人生観なども踏まえながら、徒然なるままに書いてみようと思いますので最後までお付き合いいただければ大変嬉しく思います。

そもそも、なぜ福岡なのか?

何故東京支社の次が福岡?という疑問もあるかもしれないので、少し経営戦略的な視点からお話しできればと思います。

この業界にいると有名な話ですが、福岡県は通販のメッカとも言われており、主に健康食品を取り扱う会社さんがたくさんあります。

なぜ通販会社が多いのか?というお話は所説あるのですが、現地で長く事業をされている諸先輩方のお言葉をお借りしますと「福岡は島国の島国」だそうで、その昔、今ほど貿易が便利ではなかった時代に、海を越えてモノを売るためには場所に捉われない売り方が必要だったんだとか。

また、福岡の人が生産し、県内の人で経済を回すだけではどこかで頭打ちになるから、県外の人にも買ってもらうにはどうすればいいか、と考えた結果だそうです。

モノづくりの考え方で言うと、東京のような都心部は流行を押さえていてニーズの多いものを大企業が大量生産し、安価で販売しているので、福岡は逆に「ここでしか買えない」ものを生産しよう、という想いがあるそうです。

確かに、言われてみれば福岡の街を歩いていると個人商店が多く、通販においても「ニッチだけどニーズがとても高い商品」が多くあるように思います。

福岡支社立ち上げを任されるまで

1社目で目の当たりにした社会の厳しさ

そういった背景で、福岡の企業様へより高い価値を提供するために新たに拠点をつくることになり、責任者として私が選ばれました。

そんな責任重大なポジションに何故私を選んでいただけたか、という話をするにあたって、少しばかり身の上話を聞いてください。

私がa-worksに入社したのは2015年の10月。
新卒で入った会社を諸事情で去ることになり、中途採用という形で入社しました。

学生時代からずっと絵を描いてたので元々クリエイティブなことには興味があり、チラシのデザインのバイトなんかもしていたので「何かを売る仕掛け作り」に楽しさを覚え、大学卒業後は迷うことなく広告代理店に就職しました。

ところが会社員というやつは思っていたよりも全然キラキラしておらず、毎日疲れた顔して電車に乗り、とにかく休日が楽しみで、飲みでは仕事の愚痴を言い合う。
それでも自分なりに頑張ってはいたのですが、色々な事情で籍を置き続けられなくなり。

社会人1年目で学んだことは、月並みな表現ですが「社会に出ることのしんどさ」です。

1社目で目の当たりにした人事異動や、その年に起きた某大手企業の大量リストラなんかをきっかけに、社会から必要とされない人間は、本当の意味で「存在意義がなくなる」と痛感しました。

転職するも「一番仕事が出来ない」新人時代

a-works入社直後の私

私は、ある種の「死にたくない」という強迫観念から独立を目標にし、ベンチャーという環境で「会社(あるいは経済)を作っていく」ことを体感しながら社長と近い距離で仕事が出来る、という理由でa-worksにエントリーしました。

成果報酬型の広告モデル自体が好きだったりと他にもエントリーの決め手は色々あり、衝撃的な社長面接の話もしたいのですが長くなるので今回のブログでは一旦割愛します。

前職がノルマ型の営業職だったこともあり、厳しさに耐性はあると思っていたのですが、答えの無い問いを投げかけられまくるa-worksの業務は、想像の50倍ぐらい大変でした。
(ある意味、課せられたノルマを追う方が簡単だとさえ思ったぐらい。)

当時は今以上に新人とか関係なくいきなりOJTだったので、ホントに何も分からない状態でクライアントワークを始めることになります。
しかも結果が出るまで時間がかかるので、思ったより作業は地味で、地道。
社長はじめ、先輩陣に毎日死ぬほど怒られながら仕事をしていました。

思い返せば、何人かいた新人メンバーの中でダントツ「一番仕事出来ない奴」だったと思います。

自信も失ったし、悔しくて泣いた日もありましたが、負けん気だけは強いので、社内外の人からどれだけ強く怒られても、ポンコツすぎて担当を外されても、「必要ない人間にはなりたくない」一心で向き合い続け、努力を重ねました。

努力の積み重ねが徐々に結果に

社長に時間を取ってもらったり、当時の恩師にFBを貰う機会を自分から作ったり、教えてもらった本を読み、朝晩の空き時間を勉強に充てる日々を重ねて入社8ヶ月ほど経った頃、ようやく一定の結果を出せるアカウントプランナーになりました。

そのころからどんどん仕事が楽しくなっていきます。

クライアントやパートナーさんから感謝の言葉をもらえるようになり、ようやく「必要とされる人材」になれている感覚が芽生え、やりがいを見出していました。

2016年9月の社員総会で新人賞をもらえたことをきっかけに大きな自信に繋がり、手を挙げて自ら挑戦したいと社長に直談判することが増えます。

社員総会で新人賞を受賞。大事な時ほど目をつむってしまう…。

結果、大手企業のコンペに参加したり、大規模なカンファレンスイベントで登壇したりと、20代では到底出来ないような経験をたくさんさせてもらうことができ、あらゆる成長の場を与えてもらい続けています(今も)。

2018年にダイレクトアジェンダというマーケティングカンファレンスへ登壇させていただきました。

福岡に行く覚悟を決めた日

そんなこんなで月日は流れ、今は福岡支社の責任者という、なかなか20代そこらでは出来なさそうな経験をさせてもらっています。

社長は、「出来なかった」頃の溝端もずっと見てきてくれたので、努力しているところも、成長のプロセスも全部見てくれています。

もっと言うと、日々のコミュニケーションも含めて、ここまで細かく見る人は少ないんじゃないかと思うぐらい。

とはいえ、話を貰った時は不安もありました。

そんな社長が直々に指名してくれたのだから、理由があるとは信用しつつも、やっていけるのかという思いもあり、食事の場で率直に質問しました。

「どうして僕なんですか?」

そもそもで福岡のパートナー様とは良好な関係も築けており、土地柄も好きだったのでそこは不安ではありませんでした。
(と言いつつ、福岡はa-worksの出張で行ったのが初めてという。)

福岡支社作るときは行きたいです~なんて軽口を叩いたこともあったので、選定理由としてはその辺りかなと思っていたところ、社長から明確な返答が。

「まず第一にお前はサボるやつじゃない。その信頼が大前提としてなければ、任せるという判断はありえない。第二に、お前がもう一段階成長するためには“事業”に向き合う必要がある。広告運用の話だけをしていても、本当の意味でのブランド支援はできない。そうじゃなく、事業の課題に向き合うというプロセスを、体感することに本当に意味があると思う。」

数秒前までの自分、殴りたい。

恥ずかしながら全然社長の想いを汲み取れていなかった私ですが、この言葉をもらったとき、私は福岡に行く決意を固めました。

そのときは不安を拭う目的で質問したつもりだったのですが、どういう挑戦をするにしてもクリアになれば「不安がなくなる」ということはなく、「やる」という覚悟が上回るから行動できるだけなんだということをそのときに学びました。

また、社長の言葉からは、私への信頼と期待だけではなく、人として真摯に向き合ってくださっているということが分かったので、覚悟を決めることが出来ました。

そして、社長が信頼してくれている要因は、前述した通り入社当初に愚直に自分の課題に向き合ってきたというプロセスであり、伴って出てきた結果であるということも分かりました。

よく、「今の自分を作るのは~ヶ月前、~年前の自分」だという話を聞きますが、まさに過去の努力が積み上がり、認められたという実感を得られ、「本当に努力を評価してくれている」と確信できたことで、意思決定できたんだと思います。

特にそのころの自分は、新人の頃のような成長の体感が薄まっており、成長曲線がどんどん緩やかになっていることに焦りを感じていました。

でも現状に嘆くのではなく、半年後、1年後に大きく成長するための意思決定を今して、より「自分の在りたい姿に高まっていく覚悟を決める」ことのほうが大事だと分かったからこそ、信頼をベースに覚悟を決められたのだと思います。

何においても、結果をもとに信頼を勝ち取ることは大事だし、必須ですが、そういった部分をきちんとやっていれば、見てくれる人は見てくれるし、機会もどんどん与えてくれる環境です。

転職するとき、a-worksに入ったとき、「ベンチャーにいれば成長できる」という環境要因への甘えも多々あったのだと思いますが、自力でチャンスを掴みに行く大事さを改めて学んだ出来事でした。

福岡に来て気付いた新たな課題

そんなこんなで、今も福岡で闘っているわけですが、実際来てみるとたいていのことは思ったようにはいかないのが現実です。

対面で話せる分、疑問点を払拭したり口頭での説明が出来るので、これまで以上に「理解を得る」ことはできるようになってきたのですが、本当の意味で事業改善のためのメスを入れるのは本当に苦労しています。

福岡のお客様とは定期的に食事を通してコミュニケーションをとらせていただいています 。

ここ数ヶ月、私が感じているのは、

a-worksの広告運用をより高める必要がある

ということです。

これまでやってきたアフィリエイト広告運用も価値を感じていただけて、色々な嬉しいお声もいただけてきたのですが、マーケティングが複雑化してきた昨今、限られた業務領域で最適解を出すのはおそらく不可能に近いのではないかなと。

そもそも論を突き詰めて、集客とはどうあるべきなのか、事業はどうあるべきなのかを問い続けたうえで、マーケティング手法に落としていくことの必要性と難しさを感じています。

まずは半年で、気づきを得るところまでは進んでこれたので、あと数年で、福岡に派遣された意味をしっかりと残し、「自分が来たから出来た」という経済を作っていこうと思います。

しばらくは福岡に滞在予定ですので、業界関係者の皆様、福岡の皆様、お誘いお待ちしております!