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沿革ブログvol.1 a-works創業から急成長まで

野山です。

今回から3回に分けて、a-worksの創業から現在までの歩みを振り返る記事を書いていこうと思います。沿革ページにまとめた内容をもう少し深掘りして、自分の言葉で語ってみるという試みです。

採用候補者の方から「a-worksってどういう経緯で今の形になったんですか?」と聞かれることが多いのですが、正直、その質問に一言で答えるのが本当に難しいなと感じています。なぜなら創業からこれまでに、事業モデルも、組織のあり方も、何度も壊して作り直してきたからです。ただ、その変遷の中に一本の軸があるということは伝えたい。だから、ちゃんと時系列で書き残しておこうと思いました。

第1回目は、2008年の創業から2013年頃までの話です。

大企業で見た「構造への疑問」が、創業の原点

いきなり中学生時代の話から始めますが、これがないと創業の話がうまく説明できないので少しだけ。

僕は中学2年のときに「いつか自分で会社をやる」と決めました。きっかけは、親戚の叔父さんです。叔父さんは自分で会社をやっている方で、当時の僕から見るとめちゃくちゃカッコよく見えた。「社長ってすごいな」という、ものすごく単純な憧れで、社長になろうと決めました。

そこから逆算して、「早く社長になるためには早く社会に出て学ばないといけない」「早く社会に出るために高専に行こう」と決めました。大学に4年間通うより、高専で技術を身につけて20歳で就職して、3年で辞めて独立する。中学3年生のときに、そういうプランを立てました。

それまであまり勉強をがんばってこなかったのですが、高専に受かりたいという一心で猛勉強し、奈良高専に入学。卒業後、20歳でパナソニックに入社しました。最初から「3年で辞める」と決めていたので、在籍中はとにかく手を挙げられる仕事には全部手を挙げた。製造部門でプロジェクトリーダーを任せてもらったり、海外の工場に出張したり、3年間で詰め込めるだけ詰め込みました。

メーカーでの3年間で一番大きかったのは、大企業の「構造」を内側から見られたことです。

意欲のある少数の人に仕事が集中して、そうでない人たちは定時で帰っていく。設計部門の人たちが徹夜と休日出勤を繰り返して作った製品が、世界中でリコールになって何十億円もかけて回収する。なぜそうなったのか、誰も明確に説明できないまま次のプロジェクトが始まる。

別にパナソニックが悪いという話ではなくて、大きな組織にはそういう構造的な問題がどうしても生まれるんだなと理解しました。そして同時に、「自分がやるなら、関わる人が豊かになる仕事にしたい」ということを強く思うようになった。

この感覚は、今のa-worksの経営目的「関わる人の人生の意義を高める」にそのままつながっています。自分でも不思議ですが、根っこの部分はあのころすでにできていたんだと思います。

創業当初は「なんでも屋」。アフィリエイトとの出会いで景色が変わった

予定通り3年で退職して、高専時代の同期を巻き込んで会社を立ち上げました。2008年、僕が23歳のときです。

ただ、「会社を作る」のと「事業で稼ぐ」のは全然別の話でした。起業したはいいけれど、自分で売上を立てる力がまったくない。最初に入金があった仕事は、知り合いのつながりで受けた飲食店の名刺とメニュー表の制作です。

その後も、来た仕事は何でもやりました。「できますか?」と聞かれたら0.3秒で「できます」と答えて、あとから必死に調べてやる。メルマガの配信システムを作ったり、塾のリード獲得の広告を回したり。アルバイトをしながら、ジャンルを問わず何でも引き受けていました。

振り返ると、あの頃「こいつは何もわかってないけど、やらせてみるか」と思って仕事をくれた大人たちがたくさんいました。わかっていて、わざと任せてくれていた。その人たちには本当に感謝しています。

創業から2年くらい、そんな感じでとにかく目の前の仕事をこなす日々が続きました。転機になったのは、アフィリエイト広告との出会いです。

ある化粧品会社がアフィリエイトを活用して年商10億円を作っているという話を聞いて、「ネットでこうやって物が売れるのか」と衝撃を受けた。そして幸運にもその会社に関わらせてもらう機会を得て、ECで商品を販売することの裏側を深く学ぶことができました。

それまでは「来た仕事を受ける」だけだったのが、「自分たちから仕掛けて、物が売れる仕組みを作る」という世界があると知った。これが、今のa-worksの事業の原型になっています。

少しずつ売上が立ち始めて、心斎橋に最初のオフィスを構えました。マンションの一室ですが、実家を出て「会社」としての形ができた瞬間は、やっぱりうれしかったですね。

2011年、大手メーカーのEC立ち上げ案件に参画する機会がありました。もちろん、下請けの下請けとして。

そうして何が起きたか。たぶんみなさん想像に難くないと思いますが(苦笑)、みんな毎日朝5時まで働いて、誰もかれもが疲弊している毎日が続きました。ふと「関わる人が豊かになる仕事をしたかったはずなのに、今まったくそうなっていないじゃないか」と気づいて、その案件は途中で降りる決断をしました。

もちろん、売上はめちゃくちゃ欲しかった。でも、あのまま続けていたら何のために独立したのかわからなくなっていたはずです。

この経験があったからこそ、「どんな仕事を引き受けるか」「誰と組むか」を真剣に考えるようになりました。それまでは「来た仕事は何でもやる」がスタンスだったけれど、それだけでは自分たちが目指す方向には辿り着けない。経営理念やビジョンを初めてちゃんと言語化しようとしたのも、この頃です。

EC×アフィリエイトで急成長、国内トップへ。でも、何も整っていなかった

2013年頃から、大手クライアントのEC案件が立て続けに成功しました。月の売上が60万だったところから一気に1,000万、3,000万と伸びていった。縁にも恵まれたこともあり、アフィリエイトを活用したeコマース支援では国内トップクラスの実績を出せるようになりました。

業界の大手企業との軋轢もありました。クライアントのためと思い範囲外の箇所にまで目を配り始めたところ「お前らは味方なのか敵なのかどっちなんだ」と言われたこともあります。でも、ちゃんと筋を通して交渉して、関係を築いてきた。

この急成長には、スマートフォン市場の爆発的な拡大という追い風がありました。正直に言えば、市場環境に助けられた部分はかなり大きかったのは紛れもない事実。ですので、この頃の話をするときはいつも、自分たちの実力で勝ち取った成果と、時代の波に乗れたことは分けて考えなければといけないと思ってます。

加えて正直に書いておくと、この時期のa-worksは事業が伸びていただけで、会社としては何も整っていませんでした。

組織づくり? していません。事業戦略? ありません。案件が来たから受ける、受けたら全力でやる、売上が立つ、また案件が来る。そのサイクルが回っているだけでした。

当時は毎年の振り返りすら雑で、PDCAなんてまともに回せていなかった。2014年に書いた記事を読み返すと、「良かったこと」「悪かったこと」を箇条書きで並べているだけで、今見ると恥ずかしくなります。でもあれが当時のリアルな姿です。

事業が伸びていると、組織の問題は見えにくくなる。というか、見ないふりができる。「うまくいっているんだから、このままでいいじゃないか」と。でも、その「このまま」がどれだけ危ういものだったかは、数年後に思い知ることになります。

次回は、拡大の裏にあった歪みと、すべてが壊れた2019年までの話について。