野山です。
第1回目の記事では、2008年の創業から2013年頃までの話を書きました。何もないところから始めて、急成長といえる状態になった道のりについて。
第2回目は、2015年から2019年までの話です。タイトルの通り「うまくいっているように見えて、まったくそうではなかった」時期。そして、すべてが壊れた時期の話でもあります。
正直、書いていて一番しんどい回です。でも、ここを飛ばしたら今のa-worksの話をする意味がなくなってしまう。だからちゃんと書きます。
本町にオフィスを移転。コマースサミット大賞を受賞し、案件が殺到
2015年、事業の拡大にともなってオフィスを本町に移転しました。メンバーも増えてきて、「そろそろちゃんと組織にしないといけない」と思い始めた時期です。
外部のコンサルティング会社を導入して、ミドルマネジメントの研修をやりました。名の知れた会社で、大手企業への導入実績も豊富。「これで組織が良くなるはずだ」と期待していました。
先に結果をお伝えすると、このときのコンサルティングはまったく合いませんでした(苦笑)。
大手企業向けに設計された「型」を、当時まだ十数人のa-worksにそのまま持ち込んでも機能するわけがありません。今ならばわかることですが、当時はそれは正解だと思っていたんですよね。研修そのものが負荷になって、疲弊して辞めていくメンバーも出てしまう始末でした。
組織の作り方がわからないから外部に頼ったわけだけど、「自分たちに何が合うか」すらわかっていない状態で外部の型を入れても、フィットするわけがありません。
人は入ってくるけど辞めていく。組織のことがわからない。でも市場環境がよかったから事業だけは伸びていた。この「事業が伸びているから見ないふりができる」という構造は、前回も書いた通りです。
そして2016年、EC業界の大型カンファレンス「コマースサミット」でベストプレゼン大賞を受賞しました。ありがたいことにそれをきっかけとしてまた、新規の引き合いが一気に増えました。
でも、組織体制が整わないまま案件だけが増えていく。受けたら全力でやる。結果は出す。でもそのやり方は、気合と根性と長時間労働です。「整っていないベンチャーの代名詞」みたいな日々でした。
2017年には自社開発プロダクト「AdCent」もリリースしました。外から見れば好調そのもの。事業は伸びている、プロダクトも出した、業界での認知も広がっている。
でも内側にいる人間からすると、何も解決していなかった。「来るから増やす」の繰り返しで、戦略的に何かを積み上げている感覚がまったくない。案件に追われて、組織のことも事業の方向性も後回しにし続けていた。
今振り返ると、この時期がa-worksバブルのピークだったと思います。
なぜ「バブル」と呼ぶかというと、実態が伴っていなかったからです。
売上は伸びていた。でもその売上は、市場環境と個人の頑張りに完全に依存しきったものでした。
組織として再現性のある仕組みがあったわけではない。事業戦略があったわけでもない。「たまたまうまくいっている」状態を「実力でうまくいっている」と勘違いしていたわけです。
また、この頃から、Web広告という構造に抱いていた違和感がだんだんと大きくなってきました。
広告代理店として売上を伸ばすには、クライアントに広告費をたくさん使ってもらう必要がある。でも、事業者視点で見れば、広告費を抑えながらブランドが成長する方が理想的です。弁明をするならば、それまでもこの矛盾に気づきつつずっと向き合ってきたつもりでしたが、実際には、矛盾を感じながらもそのモデルの上で走り続けていくしかありませんでした。
外部環境が良いうちは回る。でも環境が変わったら一気に崩れる。そういう構造の上に立っていたことを、僕自身がちゃんと直視できていなかったのだと思います。
単月1億円の売上が消滅。それでも、会社を畳むという選択肢はなかった
2019年、検索エンジンの大型アルゴリズム変動が起きました。
a-worksの主力事業の売上が、単月で1億円規模で消えた。比喩ではなく、文字通り消えました。
それまで積み上げてきたSEO経由の収益構造が、一夜にして機能しなくなった。同時に、膨らんでいた固定費が毎月重くのしかかってくる。売上は激減しているのに、コストは変わらず流出していく。
周囲からは「もう会社を畳んだ方がいいんじゃないですか」と言われたこともあります。経営のアドバイザーからも、事業撤退を真剣に勧められました。
実はこのあたりの話は、2018年から2019年にかけての状況として2019年のブログ記事でも少し触れています。記事では「外部環境の激変に直面し、非常に難しく険しい道のりを痛感した」と書いていますが、実態はもっと深刻でした。会社の存続そのものが危ぶまれるレベルです。
ただ、会社を潰すという選択肢はまったくありませんでした。
なぜかと聞かれても、合理的な理由はありません。でも、「絶対に何とかなる」という自信、確信みたいなものだけはありました。
そのあとにやったことはシンプルです。徹底的にコストを削る。できる仕事は何でもやる。そして、次の事業の種を必死に探す。
この時期、本当にいろいろなことをやりました。残ってくれたメンバーと一緒に、来る日も来る日も「次はどうするか」を考え続けました。具体的な詳細は、次の記事で改めてお伝えします。
すべてが壊れたことで見えたもの
今振り返って思うのは、あの崩壊がなかったら、今のa-worksは存在していなかったということです。
事業モデルが壊れた。組織もボロボロになった。「うまくいっている」という幻想が剥がれた。でも、そのおかげで初めて、本当に向き合うべきものが見えました。
それは、「事業と組織の両方をちゃんと作らないといけない」というごく当たり前のことです。
創業から10年以上、市場の追い風で事業が伸びてくれたおかげ(せい)で、組織は場当たり的に対応しても機能していました。とはいえどちらも「たまたまうまくいっていた」だけで、自分たちの意志で設計したものではなかった。崩壊して初めて、「自分たちで選んで、自分たちでつくる」ことの必要性に気づくことができました。
もうひとつ見えたのは、「誰と一緒に乗り越えていくのか」ということです。
会社の状況が急激に悪化したことで、環境がいいときには見えなかった一人ひとりの姿がはっきりと見えるようになりました。あの時期を一緒に乗り越えてくれたメンバーがいることが、今のa-worksにとって何よりも大きな財産です。
第2回はここまでです。読み返すと、本当にしんどい時期だったなと改めて思います。
2020年に公開した経営方針も、2024年に策定した行動指針も、すべてこの時期の経験が土台になっています。
次回は、2020年以降の話を書きます。崩壊の後にどうやって組織と事業を作り直してきたのか、そして今どこに向かっているのか。どんな試行錯誤があって「今」があるのか、少しでも伝えられたらと思っています。
